東京都立雪谷高校同窓会・螢友会のホームページ/学校創立1913年(大正2年)4月

07期:瀬端 直也

雪高野球部を応援して 1956(昭31)年卒

あの興奮の日から、もう7年近く経ってしまったのか、先日、雪高野球部後援会の発足会が、幹事の河野さん(32期)蛍友会会長の葛巻さん(10期)のご努力で60数名の方々集まり盛大に行われ、その席上での相原監督さんのご挨拶の中のお言葉でした。

そうすると鈴木君が亡くなってからもう10年近くになるのか、あと1年もすると後期高齢者になる私にとって年の経過の早く感じるのは仕方のないことなのでしょう。

15年以上前になるのでしょうか、毎年夏の大会の予選の応援に必ず来ている人の中に同期の鈴木君の姿を見ました。まばらな神宮のスタンドで、お互いに年に1~2度の挨拶を交わす中に未だに私の耳から離れない彼の言葉が有ります。

“おい雪谷を甲子園に行かせる会をつくろうよ”
“お前、高校野球を知っているのか、甲子園に出るということがどれだけ大変なことなのか、夢の又夢”

 
そっけない私の返事でした。当時6大学野球に”東大を優勝させる会”という会が有る事を知っていましたから、東大の優勝の方が遥かに実現性があるのではと思いました。
ところがどうでしょう、それから何年か後、私にとって奇跡の中の奇跡ともいえるような雪谷の甲子園出場が決まりました。

甲子園は無論、予選も全て見に行きました。蛍友会の当時の役員中島君や柴山君を初め7期の応援の人の数も勝ち進むにつれ増え続けましたが、残念なことに鈴木君の姿を見出すことはできませんでした。

鈴木君は念願の母校の甲子園出場を見ずにその2年ほど前に鬼籍に入っていたのです。
甲子園には鈴木君の遺影を胸に抱いて行きました。
雪谷高校野球部後援会の発足は、彼の遺志を少しでも実現できたものと思っています。

あれから6年余り我々7期の応援に来ていた仲間もそれ相応に年をとり、既にリーダー格だった中島君や尾崎君は鬼籍に入ってしまいました。
今、私は私の様に雪谷高校の応援が生きがいの一つである多くの仲間を知っています。
今日はあの人が来ているかどうか、いないと何かあったのかと思うようになってきました。
いつもスコアブックを片手に見ている池本さん(20期)、
姿を見ると、必ず話しかけて来てくれる島田さん(8期)、
又、応援のあとの飲み会で何度かお会いした元気な25期の皆さん等、
今年もお会い出来るものと今からわくわくしています。

年長者ゆえに今回名誉会長とやらにさせていただきましたが、是はあくまでも名目上のこと、若い河野君や作山君をはじめとする方々のご活躍で、雪谷の野球部を愛する人、誰でもが喜んで入ってくれるような会ができると素晴らしいと考えています。

私自身のことを書くのはおこがましいのですが、私は生涯今まで2度のミラクルを経験しています。
一度目は大学3年の選手時代の(もっともブルペンキャツチャー)東都大学リーグ戦の初優勝です。
当時、日大、中央、専修以外の大学が優勝したことのないリーグ戦に神宮の奇跡を起こしました。
2度目は言うまでもなく雪谷の甲子園出場です。2度あることは3度あると言うのが世の習い、雪谷の再度の甲子園を残された余生の夢の実現を、是非後輩の皆さんにお願いしたいものです。

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