雪高校舎改築設計の思い出 1966(昭41)年卒

8月の月初めに同窓会螢友会のHP担当者より校舎の設計を担当したと聞いたので、それに纏わる話を書いて欲しいとのお話を頂き、少し書かせて頂くことに成りました。

私の生れは宮城県の仙台市ですが、父の仕事の関係で2歳ごろから大田区の西六郷に住んで居ります。
小学校、中学校ともそれぞれ区立の西六郷小、志茂田中を卒業して1963年に雪谷高校に入学しました。
同窓生に今、フジテレビで活躍しているアナウンサーの須田さんなどが居ります。

現在は建築の設計をしている会社の代表をして居り、ちなみに弟、西倉哲夫も雪高の卒業1972年(昭47)卒23期で現在も私と同じ会社で副代表をして居ります。

会社は公共建築物の設計を比較的数多く設計しており都立高校も数校設計をさせて頂きしました。
雪谷高校の改築設計業務は平成5年11月から始まり平成6年11月に完了し、工事監理業務(いわゆる工事期間)は平成7年8月から平成9年7月までの合計5年度に亘る長期のプロジェクトで有り、既存の体育館を残したすべての校舎を建て替えるもので、グランドに仮設校舎を建てての大がかりなものとなりました。

教育委員会と先生方そしてPTAの代表者たちから成る改築検討委員会の皆様がたの意見を頂戴して設計作業を進めました。まずは正門と通用門の位置について色々と検討して既存の位置がやはり一番相応しいという事になり、次にグランドと体育館をそのままにして、どう校舎群を配置するかに知恵を絞りました。与えられた期間と予算の中でそこで学び生活する生徒や先生のための環境空間を最大限豊かにするために力を注ぎました。

建築物はその建物だけでなく、周りを構成する外溝や造園が無くては環境良く機能しません。
検討委員会等から頂いた皆様の声は昔の『おせんち広場』を残してというものでした。
しかし、既存のままにすべての広場を残す事は改築する校舎の規模から物理的に不可能であり、どの様に設計すれば昔の『おせんち広場』のイメージを踏襲できるのか、色々と試行錯誤したのが現在の広場で有ります。昔を知らない方々がほとんどだと思いますが是非先輩方のご意見を聞きたいものです。

建築の設計は、人様の貴重な財産を預かり建築という公共財産にも成りうるものをデザインするもので、町並みの景観にも多大な影響を与える重要な作業を伴う仕事で有ります。
特に公共建築は発注者と利用者が異なる場合が多々あります。

近年、苦情が相次いだ分譲マンションのように、ディベロッパーが造って販売してしまえばそれで完了と言う訳には行きません。エンドユーザーがどの様に利用するのか、そこで生活する人々を思い浮かべながら私たちは日夜設計業務に励んでおります。

皆様の声をお聞かせください。