記事掲載日:2011/01/30
照屋 博史さん(「ワハハ本舗」劇団員 てるやひろし) 37期

「ワハハ本舗」には1990年に入団しました。
主な活動ですが、ワハハ本舗の公演はもちろんですが、その他、様々な舞台の客演をさせて頂いたり、テレビ、ドラマ、映画などにも出演させて頂いております

雪谷高校には1983年に入学し、未経験でしたがサッカー部に入りました。友人がふざけて「コイツがゴールキーパーをやるそうでーす」などと言ったため、身長も低いのに本当にやることになってしまいました(笑)

いつもPKで負けてしまい、結局、公式戦では1勝もできませんでしたが、顧問の石井琢身先生(数学)が、自腹でトロフィーをくれました、この時の事はよく覚えています、うれしかったなぁ。次の世代は都大会までいったそうですね。ですので、今でも身体を動かす事といったら、友人とフットサルですね。

高校卒業後はアルバイトをしながら美容専門学校へ通いました。国家試験の筆記には合格したのですが、美容院でのアルバイト中に「これは自分のやりたいことではない、本当はお笑いをやりたい」と思い始めました。

後悔するより、やってみたいことに挑戦しようと、雪谷の1年先輩でもある兄とともに蒲田にある知り合いのお店のマスターに相談しました。そのマスターは、元アイドルで「お笑いも芝居の道から入るという手もあるよ」と教わり、さっそく何か芝居を見に行こうと演劇情報誌で公演情報を見ていたら、「ワハハ本舗」の若手集団「オホホ商会」団員募集の記事を見つけ、当時23歳になる年で、募集年齢をオーバーしていましたが、履歴書には年齢を2歳若く書き応募しました。合格後に実年齢を白状したところ熱意を汲み取っていただき、ちゃんとした履歴書を持ってくるように言われ、入団させて頂きました。

当時、月謝1万円で発声とジャズダンスのレッスンを数ヶ月受け、自分たちで台本、衣装、小道具なども作製していまして、右も左もわからないまま浅草の花やしきで初舞台を迎えました。被り物をしてモノマネを取り入れたネタをやりましたが、初日は全くウケなかったのですが、2日目にはドカーンとウケたのを覚えています、そのウケた事に感動と感激をして、次に繋がるエネルギーになったのだと、今でも思いますね。アルバイトや資格取得など、いつも中途半端で、やり遂げたことのない自分でしたが、今年でワハハ本舗に入団して20年になりました。

振り返れば高校時代は何も考えておらず、人見知りなのでコミュニケーションも下手で、言葉で人を傷つけたりした事もありましたが、ワハハ本舗に入り、台本作りをする時など、セリフひとつにしても考えて書くようになり、自分自身、何か心のリハビリのような感じがします(笑)。基本的に、自分が面白がってやっていると人様にも伝わるものですね(笑)

そんな僕自身も面白がって出演している、ワハハ本舗の舞台が日本全国をツアーでまわります。テレビなどでは絶対に見る事の出来ない、エンターテインメントな舞台をぜひ、見に来てください。

4月16日(土)~23日(土)の東京公演の後、5月7日(土)の大阪公演を皮切りに、北は北海道、南は鹿児島まで、全国23箇所をツアーでまわります。ツアー日程など、くわしくはワハハ本舗のホームページなどをご覧下さい!

皆様、劇場でお待ちしております!

■ワハハ本舗ホームページhttp://wahahahompo.co.jp/
東京公演、地方公演の日程、チケットの入手方法等については上記のHPをご覧下さい。
【1月26日(水)にワハハ本舗事務所にてインタビュー】

記事執筆:広報部 富里由加里(32期)