YUKIGAYA’S CENTENNIAL(2011/01/13)

東京府荏原郡調布村立女子実業補習学校1913(大正2年)4月1日誕生

日本の学制の骨格は,大正時代に整った。
義務教育は尋常小学校の6年制。

卒業すると半数前後の者は、現在の中学校にあたる高等小学校(2年制)に進み、一部の者は、現在の高等学校に当たる中等学校(原則的に中学校・実業学校は5年制)、中等学校を終えると、さらに限られた少数の者が、現在の高等学校に当たる各種の専門学校(3年制)や高等師範学校(4年制)などに進んだり、現在の大学教養学部にあたる高等学校(3年制)や大学予科をを経て最高学府といわれる大学(3年制)に進学したりした。

女子に関しては、中学校設置に消極姿勢を示す県が多かったが、家にいてこれを生み出す有能な女性が必要だとする、いわゆる良妻賢母論が国家的見地から主張されるようになった。
しかし、実際に高等女学校に入学してくる者は中学校以上のいわゆる「良家の子女」が多く、「良妻賢母」の準備をする者は半分に過ぎず、さらに上級の学校に進学する者も少なくなかった。

このような中から裁縫などの「家政ニ関スル学科目」を中心に、1910(明治43年)年に高等女学校令改正によって実科高等女学校が誕生し、年齢12歳以上で尋常小学校卒業程度の者を対象にした場合は修業年限4年、高等小学校第1学年終了程度を対象とした場合は修業年限3年とし、高等小学校第2学年終了程度とした場合は有業2年とする2年とした。
いずれも授業時間の半分以上が裁縫科あるいはこれを含む家事科となっている。

こうして東京府立調布村立女子実業補習学校が1913(大正2年)が誕生した。
その後、1926(大正15)年に東京府荏原郡調布村立女子高等学校と改称して、現大田区立東調布第一小学校に間借りしていたのを、1941(昭和16)年大森区雪が谷町823に校舎を移転し、東京都立大森家政女学校と改称したのである。

100周年実行委員会