「写真集 いのち 街の一木一草」刊行して思うこと

八月に「監物博写真集 いのち 街の一木一草」を出版しました。
過酷な環境ともいえる都会の道端に生きる草木をみつめて、撮ったものです。
力強いとか、健気だとか、さびしげだとか感じながらシャッターを切りました。
人間への思いとダブらせて、いのちの力を記録しました。
「いのち」少し大上段に構え過ぎたかなと思いますが、写真に深みが添えられるのではないかと納得してしまっています。
同じようなテーマを扱っている文章に出会うとうれしくなります。
山本有三著小説「路傍の石」がそれです、引用しますと

「石垣のあいだには土なんか一かけもない。石と石とはセメントで固めてあるのだ。それにもかかわらず、名もない草はわずかの透間を見つけて、根をおろし、葉をひろげている。そんな中ででも生きて行こう、伸びあがろうとしているものがあることは、彼にある勇気を与えた。」

好きな一節です。
九月にはその出版記念パーティを開きました。
その際用意したプリント若桑みどり著「レット・イット・ビー」(主婦の友社1988年出版)にもありました。

実は、私のあいさつの中で朗読するつもりでした。
時間の関係で割愛いたしましたが、文章の後半部分に雪谷高校でご一緒だった美術の阪本文男先生の絵「写真の野草」に触れています。
それを「阪本文男先生回顧展」(5月7~24日)で知って感激もしましたし、ご存命ならば話も聞けたかなと残念でした。

一つの歌がくれるほどの生きる力をはたして一枚の絵がくれるだろうか、ほんとうに悲しいときは音楽を聴く、レット・イット・ビーで始まる文章です。
では、朗読する予定であった後半のところを記載します。

「私の前には今、一枚の知られざる絵が置いてある。これは、今まで私が扱ってきた名作のたぐいではない。一昨年死んだ私の昔の友人の遺作である(図2)。冷たい色のテーブルの上に、枯れきったひまわりが置いてある。そばには、何も書いてない一枚の紙。言われなかった言葉であろう。右手には、砂利の間に生い育つたくましいはこべ。それはあらゆる困難に耐えて生き抜く生命をあらわす。それはもともと逆境に生まれたばかりでなく、今も人に踏まれているのである。たぶん、それは、私たちが共有していた、青春であろう。この作者と私は、同じ年の生まれで、芸大でも同期だった。私たちは、東大の仲間といっしょに″文学集団″というグループをつくっていた。集団の仲間のうち、今も私と同じ学問の道をいく、今は偉くなった人たちがいる。だが、私たちの世代に共通しているのは、あのなんでもできると信じられた青春を1960年の安保闘争で壊滅されてしまったことである。
この絵の作者は、長らく消息を私は知らなかったが、1986年に死んだと、最近私のもとに遺作集が送られてきた。円熟をまたずして死んだ昔の仲間の、白紙のメッセージは、生き残ったわれわれに何を伝えるのか。枯れたひまわりの、失われた青春のことか。今は写真となって飾られている、あの緑色のたくましい野草のことか。
確かに絵は無言である。しかし、それは短い歌が終わったあとも長く残り、言葉が伝えられないものーその人のみがそこから読み取れるものたちーを伝えつづける。」(若桑みどり著「レット・イット・ビー」1988年出版)

写真や絵は鑑賞する人によって様々だなと、プリントに紹介した若桑みどりの解釈に感じいりました。
最後の2行は写真を撮る人にとってもどんなにか励みになることでしょう。

(注 若桑みどり著「レット・イット・ビー」からの転載については主婦の友社及び若桑比織様のご了解を頂きました。記して感謝申し上げます。)