もう一つの甲子園出場記念碑

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岩手県立高田高校

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母校

東日本大震災から2ヶ月後の5月11日付スポーツニッポン新聞に「岩手県立高田高校」の記事が掲載されていました。

陸前高田市の沿岸部に位置する高田高校は、3階まで津波が押し寄せ、体育館が校舎に突き刺さるなどの壊滅的な被害を受けました。
そんな中で唯一、無傷だったのが、1988年夏の甲子園出場を記念した石碑でした。
この石碑には作詞家・故阿久悠さんの詩が刻まれています。
雪谷高校の校門にある2003年夏の甲子園出場記念碑「敗れざる夏」と同じです。

雪谷がPL学園と対戦した日のちょうど15年前。
1988年8月10日に高田高校は一回戦で兵庫県代表の滝川二と対戦しました。
雨中の熱戦となった試合の8回裏、滝川二の攻撃中に3ー9で降雨コールドとなりました。
この試合を阿久悠さんは「コールドゲーム」と題した詩で表現。
「高田高校ナインは甲子園に1イニングの貸しがある」と記し、無念の胸中を察しながら健闘を称えています。

高田高校に阿久悠さんの石碑が存在することは、昨年の「けいゆう」に執筆いただいた23期・宮内正英さん(スポーツニッポン新聞社・執行役員)の原稿から知ることができましたが、雪谷高校と同じように阿久悠さんの詩が刻まれた甲子園出場記念碑を誇りとする高田高校が東日本大震災に遭遇。

大津波による甚大な被害を受けたにもかかわらず、記念碑は流されることなく、残った現実に言葉を失います。生徒約540人のうち18人が死亡、今も行方不明の生徒もおり、野球部員全員の安否確認ができたのは震災から10日以上が経過してからでした。

現在、校舎は2008年に統合により閉校した大船渡農業高校を使用していますが、高台にある高田高校野球部のグラウンドには仮設住宅が建設中で、場所を転々としながら練習せざるを得ない野球部にも10人の入部希望者がいました。

5月12日には、卒業生からの寄付もあって20人分揃ったユニフォームで、開催が延期されていた春季岩手県大会に挑み、同じく被害の深刻だった釜石と対戦、延長10回の末、5-6で惜しくも敗れました。

一日も早く復興し、いつの日か必ず貸しを返してもらいに甲子園に行ってほしいと願わずにいられません。
協力=23期・宮内正英